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公平と平等――ジェンダーギャップの解消が必要な理由を社労士視点で解説

先日、当職・村井真子が「あいち男女共同参画のつどい2023」に講演登壇として登壇するという機会をいただきました。愛知県女性団体連盟の皆様の度胸と冒険に本当に心より感謝申し上げます。
演題は「働く女性の課題と現実~ジェンダーギャップを乗り越えるために知っておきたい10のこと~」でした。
この記事ではそこでお話した内容から一部を抜粋し、特に企業におけるジェンダーギャップの解消の必要性について抄録します。

そもそも、ジェンダーギャップとは何か

ジェンダーギャップとは、性差が原因で(特に、男性/女性という性差が原因で)起こる格差のことを指しています。世界経済フォーラムはこの格差が起こる分野を「経済」「教育」「健康」「政治」の4つに定義して評価しており、国ごとのジェンダー平等の達成度を指標として発表しています。「0」が完全不平等、「1」が完全平等を示しますので、数値が小さいほどジェンダーギャップが大きいことがわかります。

日本はこのジェンダーギャップ指数において、2023年の結果は指数0.647、順位は125位になりました。指数自体は横ばい傾向ですが、順位が落ちています。
実はこのスコア、ジェンダーギャップ指数の調査が始まった2006年時点の時点では指数0.645、順位は80位でした。要するにほぼ、スコアは変わっていません。順位がじりじりと落ちているのです。

この理由は参加国が増えたからというものもありますが、最も大きい理由は政治、経済分野の数字がずっと横ばいだからです。日本は教育の分野では「中学までの義務教育は男女差なく受けられる」「識字率に男女差はない」などの理由で指数0.997、健康の分野でも指数0.973とかなりジェンダーギャップのない状況と言えます。

それに比べ、政治分野の指標は0.057、経済分野の指標は0.561と低迷。政治に至っては完全不平等のほうが近い水準です。

今回、私は社労士という立場から、特に経済の分野のジェンダーギャップの解消がなぜ必要なのかという話をしようと思います。

参考:【ジェンダーギャップ指数】日本、2023年は世界125位で過去最低 政治・経済改善せず|SDGsACTION!

職場における不平等と不公平

ジェンダーギャップの解消がなぜ必要なのかを語る前に、まず、経済分野でのジェンダーギャップがどんなふうに表れているかを説明します。

組織においては、不平等なこと、不公平なことがたくさんあります。

不平等なことの代表格は「同一労働同一賃金の不徹底」です。同じ仕事をしていても、正社員と同じように働いていても、雇用管理制度上の正社員・非正規社員という違いが異なる賃金テーブルを採用させてまかり通る、そのような職場はたくさんあります。(念のため注釈を入れておくと、責任範囲の違いによる賃金差は認められます。)

また、性差による賃金差がある(男女で賃金テーブルが違う、しかも賃金テーブルは明示されていない)企業も厳然と存在します。
これらは「明らかに」その問題が明示されていますので、制度で改善することがある程度可能です。例えばジョブディスクリプション(JD)に応じた賃金テーブルを作るなどが考えられます。この状態は労基法違反なので、制度を修正する側も「これは違法なので適正にしましょう」と言いやすく、改善のための取組みはそれをすること自体を決められればすぐできます。

問題なのは不公平なことのほうです。

不公平とは、形上は平等でも、本当は平等になれない現象のことを指しています。例えば、「昇格要件」。男女の限定はなくても、前提となる条件として男女どちらかが(多くの場合は女性が)不利になる要件が設定されている場合などを想定しています。転勤●年以上、あるいは一度も休職した経験がない、など。女性にとって達成困難な要件が課されていれば、それは一見平等そうに見えても、事実上は不平等で、その「一見平等そう」な見せかけが不公平を感じさせるのだと私は思います。

ガラスの天井・壊れたはしご

ところが、こういう話をすると、「いやでもその条件をクリアして昇進する女性もいる。努力の問題なのでは」という反論が出てきます。これもその通りなのです。実際、男社会と呼ばれる業界や組織でも昇進していく、リーダーになる女性はたくさんいらっしゃいます。

ガラスの天井とは、見かけ上昇進の道は開かれているけれども、一定の条件があってそこから上には行くことが出来ないという状況を示した言葉です。例えば女性は課長までしか昇進できない、という不文律などがこれに当たります。どんなに能力のある女性でも課長どまり、部長や取締役にはなれない、そういう状況はガラスの天井があると言えます。
また、そもそも昇進の道があるように見えるだけで、道自体がないのだという考え方もあります。そのような考え方は壊れたはしごと呼ばれており、それもまたジェンダーギャップを拡大する要因の一つです。

しかし、このような条件下でも、前述の通り自身のキャリアを築き上げてきた方々はたくさんおられます。そういう方にはただただ尊敬を覚えるばかりです。また、そういう方がいたからこそ、少しずつでも女性の経済的な地位は向上してきたのです。

けれども、それはとても過酷な道です。
ガラスの天井にぶちあたり、血まみれになりながら突破して昇進していくロールモデルを見て、後輩の女性たちは「昇進するためにはあそこまでやらなければならないのか」と思う。返り血を浴びながら、「あれなら私は昇進なんかしたくない」「そこまでして頑張り続けるのはしんどい」と思う。
それは、ごく自然な感情です。

管理職のリアル

だいたい、日本の管理職者は不人気ポストです。
民間会社の調査によると、「気楽な地位派」「責任ある地位派」の比較では84.4%の人が前者の価値観を選択しました。また別な調査では「管理職になりたくない」と答えた人は77%にのぼるなど、多くの方がなりたがらない状況になっています。

これはある意味当然で、管理職に昇進すると不幸せになり、不健康になるからです。
拓殖大の佐藤一磨准教授の研究では、女性の場合、管理職に昇進すると昇進したその年と翌年は幸福度が上がるけれども三年目は昇進前より幸福度が下落。主観的健康度にいたっては右肩下がりになる、という結果が出ています。
そんな状況で、誰が昇進したいと思えるでしょうか。
ましてや、女性はガラスの天井をぶち破り、頭から血を流しながら邁進しなければならないのです。そんなことを、望んでしたがる方が果たしてどれだけいるでしょうか。

しかし、日本はいま、緩やかなデフレ状態にあります。
1989年には時価総額ランキングにおいて10位以内に7社がランクインしていた日本企業ですが、2023年3月末で、上位100位以内に入った日本企業はトヨタ自動車(39位)のみ。しかしそのトヨタ自動車も、2019年時点で豊田章男社長が終身雇用がもはや成り立たないことを言及されました(日本自動車工業会の会長会見)。

これは被雇用者側から見ると、血まみれになって昇進しても、その努力に会社から報いてもらえない時代が来るということです。
そんな社会に、そんな職場に、残りたいと思う人が果たしてどれだけいるでしょうか。

参考:生活定点2022集計|博報堂

参考:管理職での就業は主観的厚生と健康にどのような影響を及ぼしたのか(佐藤一磨)|慶應義塾大学 パネルデータ設計・解析センター

メリトクラシー(能力主義)と生存者バイアス

ところが、上記のような考えに対し「いやそれは弱者のいいわけだ!」という人もいます。
自分たちはそのような社会、職場で成功してきた。それは自分たちの努力があったからだ。出来ない人は言い訳してやらないだけで、そんな奴らは残らなくてもいいという考えです。

でも、それは本当にそうなのでしょうか。
言い訳してやらないだけだったのではなく、そもそものスタートラインが違う、ということはないでしょうか。同じだけ努力しても、同じだけの報酬が与えられないということはなかったでしょうか。

メリトクラシーというのは、個人の能力・業績によって評価され、その評価が高い人が統治者・支配者になるべきだとする考え方です。これは一種の選民主義なのですが、日本においては元々あった学歴主義や年功序列的な賃金制度の反省として成果給・能力給を支える思想として受容されたために、その「選民」的な要素が隠されることが多いように思います。

メリトクラシーには色々問題がありますが、私が最も問題視しているのは、メリトクラシーは「すべての個人は平等だ」という考え方がスタートにあるように思うからです。平等なのだから、より能力が優れている者が評価され、より業績を挙げている者が評価されてしかるべきだという思想だと感じるからです。
でも、本当に、私たちは平等なのでしょうか。
先ほど見たように、少なくとも企業においてはジェンダー平等は達成されていません。だから、そもそも入社した時点で男女のスタートラインは同じではないんです。また、同性であっても、その中で同様に平等ではない状況があります。例えば男性同士でも親の所得差による勉強環境への投資量の差があったり、出身地域による差があるような場合です。

メリトクラシーが許容されてしまうのは、生存者バイアスの問題もあります。

生存者バイアス(生存バイアス)は、ある選択について失敗したケースは無視し、成功したケースのみで判断をしてしまう認知の在り方を指す言葉です。例えば数人のロールモデルについて語る際、全員が努力して大学に受かった、という経験を持っているとします。しかし、努力することができた環境について言及されることは少なく、あたかも自分一人の努力・能力・才能で努力を継続できたように語ってしまうということも生存者バイアスのひとつです。この場合、努力する環境が整わなかった人は、努力できなかった人と見なされます。
この考え方はメリトクラシーとも馴染みやすいため、「努力できない人を評価できない」「努力して能力を発揮している人は評価されるべき」といった考え方を醸成します。

ここには、スタートラインがそもそも全員ちがう、という意識はありません。

DEIがなぜ必要なのか――全員のスタートラインを可能な限り揃えるということ

ここで、ジェンダーギャップの話に戻ります。
なぜ、ジェンダーギャップの解消が必要なのかと言えば、それは「スタートラインが異なる状況を是正しないといけないから」です。なぜスタートラインが違う状況を是正する必要があるのでしょうか。それは、少なくとも経済面でいえば「スタートラインが平等にならないと、その人の働きについて正当な評価をすることが出来ないから」なのです。少なくとも、私はそう考えます。

世の中には沢山の不平等や不公平があります。目に見えないものも沢山あります。
けれども、「性差」は明らかに存在する「差」です。
だからこそ、少なくとも企業の中でのジェンダーギャップは是正されるべきです。それは明らかに、チャンスがなくて能力を発揮できていない人、タイミングが合わなくて努力が出来る環境を整えられない人にチャンスを与えることになるからです。

ヒトが子を持つ場合、男性で就労不能な状態まで変調をきたすことはほとんどありません。しかし、女性は必ず出産前後に身体が変形し、ホルモンバランスが崩れ、骨盤がゆるみます。最低限の休業だとしても産後8週間は就労が出来ません。それは、男女の身体の構造上起こりうる違いです。

この違いを受入れて、それでも同じスタートラインに立たせることが企業には必要です。
なぜか。それは、企業にとって真に必要な人材をただしく評価するためです。
また、性差という明らかな差を産めることが出来なければ、違う背景を持つ人材を活用することなど不可能です。
DEI(ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン)は、多様な人材からなる多様な価値観を価値創出につなげることを目的の一つとしています。ひるがえって、多様な人材がその背景を認められながら働ける社会の実現を目指すこともDEIの目的です。

これは被雇用者からみれば、非常に安心して働ける環境であると言えます。
自分の背景を理解されて働くことができ、自分の明示されていないハンディキャップを是正される機会がきちんと与えられ、自分の就労は正当に評価される。
女性だからという理由で不当に貶められることもなく、男性だからという理由で過剰に頑張らなければならないということもない。

こういう組織であれば、血まみれにならずに管理職を目指すこともできるのではないでしょうか。疲れ切って幸せではない姿ではない、管理職の在り方も望めるのではないでしょうか。

本稿のまとめ

平等ではなく、公平な企業であること。

不公平なことは目に見えない事情が絡んでくるので時にデリケートな問題をはらみますが、性差による不平等は目に見える差ですから、これは解決可能な問題です。
私たちはジェンダーギャップを乗り越え、完全平等を達成して初めて、「仕事が出来ない女」「仕事が出来ない男」の話が出来ます。

自社にとって真に価値のある人材を見出していくためにも、見かけ上平等で実はぜんぜん平等ではない「なんちゃって平等」はもう辞めましょう。
これからは、「公平をめざすために少しずつでも格差是正にチャレンジできる」企業が認められ、被雇用者に指示される組織になると考えます。

この記事を書いた人

村井 真子Murai Masako

社会保険労務士/キャリアコンサルタント。総合士業事務所で経験を積み、愛知県豊橋市にて2014年に独立開業。中小企業庁、労働局、年金事務所などでの行政協力業務を経験し、あいち産業振興機構外部専門家を務めた。地方中小企業における企業理念を人事育成に落とし込んだ人事評価制度の構築・組織設計が強み。

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